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執筆者の写真SCGR運営事務局

【#8】中国の20年、地域大国からグローバル大国へ ~ごく身近な体験から

国際部 シニアアナリスト


筆者前田宏子が撮影した2004年当時の川辺の建設ラッシュ中の上海の様子が移っている
建設ラッシュ中の上海(2004年 筆者留学時撮影)

この20年間で、中国がいかに大きな変貌を遂げたかというのは、特に中国と関わりが深い人でなくとも容易に想像いただけると思います。20年というのは、生まれたばかりの赤ん坊が成人してしまう時間ですから、誰にとっても決して短い時間ではありませんが、中国の20年は、他国の50年くらいに匹敵するのではないでしょうか。以前、中国の若者に自分が中国に留学していた頃(2003年~2005年)の話をしたら、「いつの時代の話ですか」と白い眼で見られましたが、「いや、これは決して50年前とか100年前の話じゃないからね。20年前の話なんだからね」と言いたくなりました。


20年前の中国社会がいかに熱気と混沌に溢れ、人々は不作法でありつつ温かみがあったか、面白おかしい話は尽きることがありませんが(留学のために中国に住み始めてすぐ、「ホッブズの言う“万人の万人に対する闘争”というのは、これのことか!」と思いました)、その話は別の機会に置いておくことにして、今日は国際政治の研究に携わってきた者として、身近に感じた中国の変化についてご紹介したいと思います。


この20年間は、中国にとっては地域大国からグローバル大国へと邁進していった時代でもありました。1997年アジア通貨危機への対応を国際社会から高く評価された中国は自信を強め、それまであまり熱心ではなかった多国間協力にも積極的に関与するようになりました。北京で最近、大々的に開催され注目を集めた「中国アフリカ協力フォーラム」が始まったのは2000年ですし、中国は2001年12月には世界貿易機関(WTO)に加盟し、グローバリゼーションの波に乗って目覚ましい高度成長を遂げました。WTO加盟時に日本の3分の1に満たなかったGDPは、いまや日本の約3倍にまで伸びています。


中国がまだ地域大国に過ぎなかった頃、中国研究に従事していたのは、中国の文化や社会に対して並々ならぬ関心を抱いている人ばかり、いわば「中国オタク」がほとんどで、日中間で開催される会議での使用言語は、ほとんどが日本語か中国語でした。しかし、中国が徐々にグローバルな大国になるにつれ、地域研究として中国を専攻している訳ではない専門家やビジネスパーソンも中国に関わることが増えてきました。かくいう私自身も、学生時代から中国を専門的に勉強していたわけではなく、学生の頃は、まさか自分が将来、中国に深く関わる仕事をするようになるとは夢にも思っていませんでした。(大学院卒業後、とあるシンクタンクに研究員として採用され、「中国を専門にやってみないか」と提案を受けたのが、中国語と中国政治を勉強し始めることになったきっかけです)


中国で開催される安全保障や国際問題分野の会議で、英語の会議が増えてきたのは2000年代後半だったと思います。いまの中国の若者は英語が非常に上手ですが、20年前は、必ずしもそんなことはありませんでした。年配の中国の研究者で欧米に留学した経験のある人は多くありませんでしたし、偉い中国の先生でも、英語の会議で苦労していらっしゃるのをよくお見掛けしました。


現在は、安全保障でも経済でも環境問題でも、グローバルなイシューについて論じる際に中国を抜きに語ることはできなくなり、世界の至るところで、中国をテーマにした会議が日々開催されるようになっています。また、中国から海外に留学する中国人も、20年前は10万人余りだったのが(海外の高等教育機関への留学のために出発した人)、2022年には83万人余りが海外留学に旅立つようになっています。


さまざまな分野の専門家の分析を聞きながら、地域専門家としての知見をいかに活かしていくかがますます重要になっています。面白い挑戦である一方、大変だと思うこともままありますが、SCGRにはさまざまな分野や地域の専門家が在籍していますので、周囲にすぐ尋ねることができ、大いに助けられています。


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