国際部 シニアアナリスト
この約25年間にわたってヨーロッパ政治を見てきた中で、私自身イギリスから日本へと拠点を移したこともあり、英国と日本の両国から見た「ヨーロッパが時代とともに変化した過去20年ほどのよもやま話」を紹介するコラムを書こうと、SCGR20周年にあわせて筆を執りました。以下はあくまでも個人的な感想です。
私がイギリスに住んでいた時期(1999年~2010年)はずっと労働党政権の「第3の道」で、中道左派寄りの社会政策と中道右派寄りの経済政策の融合を目の当たりにしていたのですが、帰国した途端に保守党政権に代わって、勝手にイギリスに見捨てられたように感じたものです。
特にその思いが強くなったのが2016年のBrexitの時。今でこそ日本人留学生もEU奨学金を得ることが出来ますが、私の留学中にはその制度はなく、イギリス在住中に学業とアルバイトとのバランスに苦戦していた留学生の私は、当時EU各国の留学生がEUの奨学金でイギリスの大学院で勉強していたのを羨ましく思っていたこともあり、「Brexitでイギリスが得るものは?」と自問していました。
そんな保守党政権、キャメロン政権時代(2010年~2016年)の途中までは、自民党と連立政権を組んでいたこともあり中道要素も感じられたのですが、2015年の選挙で連立を解消すると徐々に右色が強くなり、2016年のBrexit投票後にはOne Nation Conservativesと呼ばれる中道寄りの保守党議員が追いやられ、ついにはチャーチル元首相の孫であるソームス議員も当時のジョンソン首相に「追放」されるなど、「broad church] (異なる政治的見解、理念、意見を容認すること)」を信条にしていたはずの保守党に大きな変化が見られました。
今回、14年ぶりの政権交代ということもあり、保守党から労働党へ政権が移ったことによる政策・方針の違いが注目されがちですが、同じ労働党内部でも、コービン前党首時とスターマー党首時でも大きな違いがあることも注目に値するところ。極左といわれたコービン前党首と異なり、中道寄りのスターマー党首下の労働党政権では安全保障などの政策面で違いが色濃く出ていますが、党内部をみると大きく異なるのが「反ユダヤ主義」。
スターマー現首相は、コービン党首下で幅広く批判されていた反ユダヤ主義的政党という評価を「変化」させるために、2020年に半ばクーデターのような形で党首に就任。就任直後はコービン側近の「排除」に苦戦したものの、影の閣僚をほぼ全員入れ替えることで、時間がかかりつつも反ユダヤ主義を大方排除したように見られます。これが理由で、パレスチナ・イスラエル情勢に関して人権専門の弁護士だったスターマー党首が人道的な動きを取りづらいという副作用もあるかもしれませんが、党内の分裂の火種はあらかた解消されたように見受けられます。
また、今回の選挙後になかなか良いタイミングだったと思ったのが、労働党候補としての出馬が許可されたコービン前党首の元側近アボット議員が「Mother of the House」に任命されたこと。これは、下院で議員を途切れることなく、また最も長く勤めている女性議員に儀礼的に与えられるものですが、下院での発言権が強化されるというタイトルでもあります。奇しくもアボット議員に同タイトルが与えられたことで、党内部でくすぶるコービン寄り議員の不満をある程度抑止する波及効果があると見ています。
2010年から2024年まで続いた保守党政権下で、イギリスとEUの関係は悪化の一途をたどりますが、労働党政権下(1997年~2010年)でも悪化は見られました。例えば、EUにどっぷり浸っていなかったイギリスは、2000年代の中東政策をめぐって、EU加盟国ながらもアメリカの政策に追随。フランス(当時のシラク大統領)との対立が表面化し、その余波はドイツ(当時のメルケル首相)にも飛び火し、EUの三大大国がイギリス対ドイツ・フランスに分断されました。特に、2003/04年に、当時のブレア英首相がアメリカのイラク政策を取り入れたことで、ブレア氏は「ブッシュ大統領のプードル」と揶揄されるまでに。一方国内でも、イギリスの中東介入に反対する大規模な反戦デモが発生。当時通っていた大学院の前で「戦争ではなくお茶を!」というスローガンを叫ぶデモ参加者に、イギリスの文化を垣間見た気がしました。
その後、特に関係が改善されることもなく、イギリスはEUと一定の距離を置くことになるのですが、EU側も変化(EU語で言うところの「進展」)の真っ最中。アメリカ志向の強いイギリスと、EUの「進展」の相乗効果も相まって、イギリスがBrexitに突き進むことになります。そのお話は、また後日。
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