経済部 シニアアナリスト
いまから20年前の2004年。この年のことはよく覚えています。コモディティ市場が「何かこれまでとは違う」様相を示し、金融市場でにわかに注目を集めだした年だからです。あれから20年、状況はまた大きく変化しました。
1990年代の金相場は長期下落局面で、1980年のピークから20年間で約70%下落。原油相場は1990年代の大半を1バレル15~25ドルのレンジで過ごし、1998年末にはブレント原油が1バレル10ドルを割る場面すらありました。
ところが、21世紀初頭に状況が一変します。中国が世界貿易機関(WTO)に加盟し、ゴールドマンサックスのジム・オニール氏が「BRICs」という言葉を生み出したのは2001年。新興国の商品需要が急速に高まっているのに、1990年代の長期低迷で投資が不足しており、リードタイムの長い商品の供給は逼迫する、という懸念が次第に高まります。
他方、1999年に欧州通貨統合でユーロが導入され、2000年から2003年央にかけて米FRBが政策金利を6.5%から1.0%まで引き下げ、ドルは2002年をピークに下落に転じていました。すると、ドル安で分散投資が必要、コモディティは有望な投資先だ……という声が強まります。
かつて、商品投資といえば、関連株を買うか、商品先物に投資するか、現物を買うか、といった選択肢でしたが、21世紀に入り、商品指数に連動した投資信託やETFが相次いで誕生しました。現在、世界最大の金ETFとなっている「SPDR Goldshares」(当時はStreetTRACKS)が上場したのは2004年11月、著名投資家ジム・ロジャース氏が『Hot Commodities』(邦題『商品の時代』)を上梓し、「流れは変わった、商品の大強気相場が到来する」と予想したのが2004年12月(日本語版は2005年6月)のことです。実際、新興国の商品需要と投資資金の流入は商品市場に大きな変化をもたらしました。金融危機を挟み、その後の先進国の大規模金融緩和と、中国の「4兆元景気刺激策」で、商品価格は10年前には想像もつかなかった水準まで高騰しました。
でも、2010年代半ばにはまた別の変化が生じます。2000年代の価格高騰はシェール革命を生み、長いリードタイムを経て鉱物資源の供給も増え、2014年のクリミア併合後に経済制裁を受けたロシアが穀物を大増産するなどして、需給はバランスを崩し、資源価格は反落します。筆者が「ご担当は何ですか?」と聞かれて「コモディティ」と答えることに抵抗を感じ始めたのもこの頃です。コモディティという言葉が暗に含む「一般化」「同等化」のニュアンスより、商品特有の複雑な要素が強まりだしたからです。
国際原油指標と目されるWTIとブレントの価格が2011~13年頃に20ドル以上も乖離する事態が生じたのは、シェールオイル増産にパイプラインや精製能力が追い付かず、米国内に余剰が発生したというローカル要因が反映した結果でした。鉄鉱石の需給がおおむね均衡し、ベンチマーク価格が小動きの場面でも、中国が鉄鋼業界の大気汚染削減に本腰を入れたため、鉄分の高い(不純物の少ない)鉄鉱石の価格が大幅なプレミアムで取引されたこともあります。
近年は、世界的に脱炭素化やESGの取り組みが強まるにつれ、同じ商品であっても、「使用した電源」「森林破壊・児童労働の有無」等により差別化しようとする動きがあります。関税障壁や経済制裁などにより貿易フローも変わり、新型コロナウイルスのパンデミックや戦争で物流が物理的に妨げられ、異常気象が頻繁に起こり、エネルギー転換期の混乱を経験し、供給安全保障の重要性が再認識されています。西側と「非西側」の分断で、西側の商品取引所で決まる「国際価格」と、西側の制裁対象国からも資源を調達する国の価格には乖離が生じ、「国際」商品価格が示すものは、商品市場のごく一部でしかなくなっています。
商品の市場規模は拡大し、供給リスクも高まっています。それでも、足元のブレント原油価格は2008年高値の1バレル147.50ドルを超えておらず、LME銅は最近になって2011年の高値1トン10,190ドルを1,000ドルほど上回ったとはいえ、インフレ調整後では前回高値を大きく下回っています。そこには供給確保に伴う困難への挑戦、技術革新、省エネ・省資源など、多くの人のさまざまな努力があります。値動きからは見えない商品市場の動きを見逃さず、いまできること、すべきことを探していきたいと考えています。
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